森山大道さんの言葉「量のない質はない」は皆当てはまるわけじゃない

森山大道さんの言葉「量のない質はない」は皆当てはまるわけじゃない
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森山大道さんのインタビューの中に、「量のない質はない」との言葉があり、かなり影響力の大きい言葉だなと感じた。

僕は森山大道さんは最近知ったばかりで特に好きだとか嫌いだとかはないけど、いろいろインタビューを読んでみてこの方の写真に対する姿勢や哲学は素晴らしいなと感じた。
とにかくカメラを持ち歩き、人生そのものが写真であるという姿勢、格好いいと思う。
そのためのRICOH GR、まさにぴったりな道具である。

量のない質はない、量を撮ることによって初めて質が確保できるということは確かに真理であると思う。
しかし、この言葉は鵜呑みにしてはいけない人も中に入る。それと、この言葉通りに行うのであればすべきこともある。
それを個人的に考えたことをまとめてみた。

森山大道さんに憧れて初めてカメラを買った人

森山大道さんの写真、たしかに格好いいと思う。
しかし、最初からこれを真似して無作為に量を撮りまくっても、なかなか成長につながりにくいと思う。

森山大道さんは写真スタジオで働いた経験があり、おそらく写真の基礎はがっつりそこで体に染み込ませている。
その上で、あの様な書き殴った様な写真スタイルが成立しているのだと僕は思う。
一見めちゃくちゃやっているような芸術家がじつは普通に絵を描かせたらすごく上手かったり。前衛的に見える書道家も基本や様式がしみ込んでいるのだ。

僕は最終的にどういうスタイルになるかは自由だが、少なくとも最初から森山大道スタイルでいくのではなく、まずはカメラの設定や構図などの基礎を染み込ませた方が成長は早いと思う。

森山大道さんはカメラの設定はオートらしい。
しかし、今見ている景色をいかに思い通りに写すか、試行錯誤も必要なはずだ。

もちろん、試行錯誤しながらとにかく量を撮るというのが一番良いと思う。

自分の写真をしっかり見直すことをしない人

写真であれ絵であれ、芸術ごとには「審美眼」が最も重要であると僕は思う。

審美眼というのは美しいものを見極める能力で、それを養うには自分が美しいと思うものをなぜ美しいと感じるのかその理由を自分の中で探すことが大切である。
だから、人が撮った写真も自分が撮った写真も、「なんとなくいい写真」で終わらせるのではなくなぜ自分がその写真を美しく感じたのか自分で考えることを続けるべきだ。

大量に撮るということは、大量に見直すということである。
自分で撮った写真を選定するのにそれ相応の時間をかける覚悟は必要である。

要は僕が言いたいのは、単に量だけとっても質は生まれないということである。
常に質を意識しながら量を撮るように、僕も心がけたい。

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