「飽き症」との付き合い方 ブログ60記事を超えて思ったこと

「飽き症」との付き合い方 ブログ60記事を超えて思ったこと
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飽き症の人間は2種類いる。
それは、飽きて辞めてしまう人かそれとも他のことに方向転換する人の2種類だ。

3月に10記事程度で止まっていたブログを再稼働し、5月には毎日とは言わないが22記事を更新することができた。PV数もやっとのことで月間2000PVを超え、少しづつだが収益が入る可能性も上がってきた。

これまでブログを書いてきて、「書く」ことが習慣になっている為記事を書くことは苦ではなくなった。「その日、書けるか書けないか」という関門が第一関門としたとすれば、これは突破できている。

1か月ひたむきにブログと向き合ってきて、思いもしなかった第二関門が現れた。それこそ「飽き」である。

ブログと飽き症

ブログに飽きを感じる言い訳ならいくつもある。例えばPV数は伸びたといってもグラフを見るとほぼ横ばいで、ほぼ読まれていない記事もあったりで達成感に欠けること、ネタは探すが「それを書いていて楽しいか?」というネタの割合が増えてきたこと、あと単にこの習慣への飽きである。

 

僕は自他共に認める飽き症である。趣味もいくつか持っているし、ガッと何かにハマる時期があればそれが去って手を付けなくなるようになる。しかし、それをもう今後一切やらないかというとそうではなく、いくつかの趣味をぐるぐる回してその時の気分まかせにそれに没頭する。自分の趣向が多数あるとき、一気に手を付けるのではなくてその時その時に没頭できるものに力を入れて、自分を成長させようというのが僕の考え方だ。要は気分屋ということでもある。

現代社会においては趣味であれ仕事であれ、僕はこのようにできる人間の方が強いと思っている。IT用語では「ピボット」というらしいが、要は「辞める」のではなく「方向転換」なのである。

僕の性格上、一つの物事を何十年も磨いて極める職人には絶対になれないと思っている。だからこそそれができるひとには心の底から尊敬する。しかしそれを自分に置き換えたとき、同じことを10年続けたとしてそれが10年後も同じ仕事があるとは限らないというのが僕の考え方だ。だからこそ、何事もやりながら常に方向転換の可能性を考えていかなければならない

 

このブログも「飽き」という感情が見えてきたということはそろそろ方向転換でもあるかなと思う。こうやって自分の考えをつらつら書くのは正直何の苦も無く書くことが出来るのだが、きっとこればかりやっていても結果を生むことは無いし、ある意味「思考停止」なんだろうなと思う。

飽きたからと言って、ブログは辞めない。とにかく、「書くこと」へのハードルはもう下がった。だからこそ、もっと自分が書いていて楽しい、そして読んでいる人が読んでいて楽しい文章をこれからは心がけようと思う。そうすることできっと自然にアクセス数は増えていくはずである。

 

飽き症は付き合い方次第で強い武器になる

飽き症についての付き合い方でもう一つここで語っておこうと思うが、非日常に幸せを求めるのは危険であると僕は考えている。

日々の生活が不満で楽しくないからこそ、休日にとにかく羽根を伸ばして楽しむ。「はやく休日がこないかな」なんて毎日言っているサラリーマンはほぼ必ずこれに当てはまるだろう。

以前「少数派:アンチマジョリティこそ幸福への道である」という記事で僕の考える幸福を書いたことがあるのだが、ここでも書いているように旅行や結婚式などという「非日常」に幸せを感じ、それ以外を幸せではない毎日としてしまうといつまでたっても幸福は手に入らないのである。

 

飽き症と関連付けると、僕は「日常に飽きる」ことは重要であると思っている。

どういうことかというと、「日常の不満を非日常に逃げることなく、どう日常を工夫して幸せにするか」ということが大切であり、「休日以外は同じような日々で退屈だなあ」とまずは問題意識を持ち、いかに休日ではない平日を幸せな日々に持っていくかが重要だと思う。それこそが、その人の人生の幸福を大きく左右するものだと思う。

こう書いているのは、サラリーマン時代の僕がその良くない例だったからである。毎日遅くまで残業し、家で行うのは食事と風呂、あとは寝るのみ。次の日は朝ぎりぎりに起きて出社。平日に家でなにかできる時間は無く、かといってその日常を変える努力もしない。平日の鬱憤を休日に友人や趣味で晴らす。そんな日々は今と比べると明らかに幸せとは遠かった。

「今ある日常を、幸せだとおもいなさい」というなだめるような言葉も合ったりするが、僕はそれよりも「少しづつでいいから、日常を幸せにする工夫をしていこう」ということを提言したい。通勤の道を少しだけ変えてみたり、違うネクタイを付けてみたり、いつもより一本早い電車に乗ってみたり、なにか毎日が全く同じにならない工夫をしてみよう。
そうすることで、「工夫→少しでも日常が変化した」という成功体験が生まれ、その積み重ねが日常をいい方向に変えていくのである。「時間が無い」という言い訳も、もしかしたら「時間を作る気が無い」だけなのかもしれない。それに気が付けるのは、「日常に飽きる」ことが出来る人だけだ。

 

「飽き症」は悪いことのように思えてしまうが、うまく付き合うと非常に強力な武器であると僕は思っている。

特に目まぐるしく技術の進歩や流行が変わるこの時代、固執してしまうよりは飽きて方向転換できる人の方が強い。そのフットワークを身につけられる人こそ、日常をもうまく変換できる人だと思っているし、常にそういう姿勢で僕はありたい。

 

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