ESSAY

【映画レビュー】「ララランド」未熟な二人と完璧な舞台の対比

スポンサーリンク

Pocket

『全ての夢追い人達への応援歌』-小島秀夫

この映画は単なる恋愛映画ではなく、夢を追う過程で様々な苦悩や葛藤と対峙し、戻れない季節を歩むロードムービーである。

圧倒的映像美、珠玉の音楽、体ごとぐいと引かれる演出…
この映画の魅力を言うときりがないが、夢を追う覚悟をした人が一度は考えた苦悩や葛藤とリンクする脚本が見事だった。

WINTERからはじまりWINTERで終わる、季節の巡りごとにストーリーは起承転結分かり易く、映画自体あっという間に終わった感覚だ。だが最後に冒頭のころを思うと随分前に感じる。
それは主人公ミアとセバスチャンが季節を巡る中で大きく次の段階へ進んだからであり、夢を目指す舞台「ララランド」から現実の「ロサンゼルス」へと心境的舞台が変化したからだろう。

冒頭のあんなに鮮やかだった映像は終盤を迎えるにつれ現実味を帯びる色合いに変わっていく。
光る水飛沫の飛ぶような二人の恋愛は夢と現実の狭間で捻転し、まっすぐに相手を見つめられなくなる。

ミアは自分の夢がかなわない葛藤の矛先をセバスチャンにも重ね、あなたの夢はそれでいいのかと問い、終わりまでも告げる。
それに対しセバスチャンはミアを最後まで君は正しいと真摯に応援する。
常に不安に苛むミアと、自信と根拠を持つが不器用なセバスチャン、といった構図である。

このようなストーリーや構図ははっきり言って汎用な恋愛映画とさほど差異はない。
この映画の批判の声にストーリーが貧弱、という声があるが、中盤に僕も感じてしまった"凡庸な恋愛ドラマ感"がその原因ではないかと思う。

確かにこの映画に大きなどんでん返しはない。
しかし、中盤の若干な退屈さもある意味ストーリーの抑揚の一つであるし、素晴らしい大団円に繋げるための必要なフェーズであったと感じる。

この映画には、はっきりとした悪役はいない。
いるとすればそれはロサンゼルスという「街」自体であり、夢を阻む様々な「壁」である。

主要な登場人物もほぼ主人公二人だけ。大きな転機もない。
だからこそこの二人には余すことなく感情移入できる。

そのシンプルなストーリーを鋭く、かつ壮大に演出するための手段として音楽、そしてミュージカルの演出、ダンスが取り入れられている。

ミュージカル映画として、ミュージカル自体のクオリティの視点での批判も目立つ。
僕はミュージカルに精通しているわけではないのでクオリティの面でその評価はできないが、もしかしたらこの映画をミュージカル映画として期待すると裏切られるのかもしれない。

たしかにダンスのクオリティや歌唱力は突飛しているようには感じない。
しかし見るべき視点はそこではなく、キャラクターとして夢に向かう未熟な二人だからこそ、そこに完璧なミュージカルを求めることは無意味と感じる。

その未完成なダンスと歌(それにジャズ)に対し、それを飾る映像・演出・楽曲は圧倒的で最高といっていいと思う。
この対比こそ、夢を追う主人公二人と、それを取り巻く夢の舞台として完璧な環境・ロサンゼルス(ララランド)との関係を表しているように思える。

この映画をハッピーエンドととらえるかバッドエンドととらえるか。
夢を追う経験をした者にはわかる苦悩と葛藤の経験とその後により、人それぞれ判断することが出来るのではないだろうか。

Pocket

スポンサーリンク

-ESSAY
-

© 2020 KAWANOISE WEBLOG Powered by AFFINGER5