ESSAY

「明確な目標」を立てるより、「計画」を立てることの方が重要

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「旅行に行く」ということを決められても、その中の「細かい計画」を立てられないという人は多いんじゃないか。

旅行ももちろんだが、仕事・夢・やりたいことにおいて、明確な目標を立てる事よりもどうやってそこに至るかの「現実的な計画」を立てることの方が重要である。

 

目標は抽象的に。大事なのは目先の行動の方向性

明確な目標が無いと計画が立てられないのではないか、という意見もあるだろうが、そうばかりではない。

人は目標を立てるときに少し高めに設定するものだ。例えば月収100万円、武道館でライブする、原宿に自分の店を持つ、など具体的で明確な目標を立てたとする。では、その目標設定を立てた人が皆それを達成するかというとそうではない。それに至るまでに段階的な計画を立てられて、地道にそれを実行できる人が目標を達成できるのである。

そして、その目標に近づくにつれ目標は変わっているかもしれない。月収100万に近くなった人はすでに1000万を視野にしているかもしれないし、原宿で店を出そうと思っていた人はイギリスにまで変わっているかもしれない。なんにせよ、目標を立てた時点とそれに少しでも近づいた時点でのステージと視野は違うので、最初の段階で目標設定にあまり時間をかけても意味が無いのだ。

よく自分の夢ノートなどといって構想を書くことだけに必死で行動を先延ばしにしている人や、事業や売り上げ目標の会議を無駄に長くやっている会社がある。そんなことをしている暇があったらさっさと目先の行動の方向性を考えて行動しようというわけである。

 

さすがに目標が全くないと行動のしようがないので、目標は「抽象的に」決める。先ほどの例で行くと、「金持ちになる」「有名ミュージシャンになる」「有名な店を作る」程度でいい。そのうえで、ではそうなるためにどういう行動と計画が必要かを具体的に考える

要は目標が大きすぎるとやらないといけないことが目の前に広がりすぎてわけがわからなくなるのだ。月収20万の人が次の月から努力で100万になるということはなく、30万、40万のフェーズがある。そのことを忘れて、夢だけによって地道な努力を忘れてしまうのだ。それは目標の期限を立てたからといって結果は同じで、むしろ期限内に達成できず自己評価を下げる原因になったりもする

 

宝くじのような夢への近道はない

みんな、宝くじのような幻想を描きすぎなのである。お金持ちが現れて自分に出資してくれる、有名事務所が突然スカウトしてくれる、有能な人と組んで成功する、など。初めから言っておくと、それを期待している時点であなたにそんな人はやってこない。そういうものは、そんな期待もせず地道にやってきた人の前に現れるものだ。

人は必然的なものよりも偶然的なものに価値を見出すと聞いたことがある。

有名な俳優がたまたま原宿を歩いているとスカウトされた、という話はきっと誰にとっても魅力的な話であろう。それは偶然性の話であり、地道に努力を重ねて俳優になった人よりも「凄い」と感じてしまうものである。「天才」という言葉が努力なくしてその実力を得られたという意味を多少孕んでしまう、しかしそれに価値を感じてしまうのである。

だからといって、それを自分に期待してもそんな日は一生来ないかもしれない。それを期待して原宿で一日ブラブラ歩くよりも演技の練習をした方がいい。「天才」はきっと「努力の天才」かもしれないし、それは「努力の方向を定める天才」といってもいい。もし自分が天才じゃないことを悟っているのであれば地道な努力でそれを補うしかない

 

過去に、「効率の悪いことの方が効率がいいことがあるかもしれない」という記事を書いたことがある。

世の中に「成功者」という者は少数派である。「有名人」も少数派である。まずは本気でそういう人になりたいと思っているかどうか、その次にそれに向かってすべき努力を遂行できたか、それぞれでふるいにかけられ、残ったものが少数派の成功者になる。

あなたがまず高い志を持っているのであれば、第一関門は突破である。志を持たない人よりも前に進んでいる。そこからは、計画を立てて考えながら地道な努力を継続できた者だけが夢・目標へと到達できる

これができるのは、少数派である。だって成功者が少数派なのだから。だったら、多くの人が挫折するような地道な努力だって歯を食いしばってやるしかないのである。なにより、考えながら努力できる人が少ないということだ。それだけ意識すれば他を出し抜くこともきっとできる。

 

努力の方向を考えないと、「脳筋」になる

努力の方向こそ最も大切なことであり、これを考えられる人が結果を得られるのである。

僕の高校生時代の話をしよう。僕はもともと野球部でピッチャーをしていた。弱小高ではあったが僕の学年はたまたま上手な選手が揃い、「甲子園へ出場する」と皆が本気で努力していた。

僕以外の皆はとにかく「努力の量」を意識し、ひたすら練習を重ねた。通常昼までの練習の日も、夜まで残って練習していた。

そんな中、僕だけは「筋肉を育てるには体の休息も大切」「毎日長時間練習するのではなく、メリハリが大切」「この練習は自分には必要ない」などと考え、一人だけ休息したり違う練習をしたりした。

それに周りの皆は「サボっている」とみなし、僕はどうにもチームの中で孤立してしまったものである。そのころから僕は「協調性」よりも「効率」を選んでいた。これには賛否両論あるかもしれないが、どれだけ否定されても僕は間違っていないと主張する。

最終的には他に優秀なピッチャーもいる中、僕がチームのエースとなることが出来た考えて努力した結果、実力で勝ることができたのである。他をこき下ろすわけではないが他のピッチャーは休息が足りずよくケガをしたりし、最終戦では周りの皆は気合が空回りしてうまくパフォーマンスできず、僕は落ち着いて試合に望むことが出来た。

試合の結果は負けてしまい甲子園へは行けなかったが、この一連のエピソードは僕にとってある確信をもたらしている。それこそ、「努力の方向こそがもっとも大切である」ということである。

 

少し前にダルビッシュ有選手の話題になった言葉が、

練習は嘘をつかないって言葉があるけど
頭使って練習しないと普通に嘘つくよ

という言葉であり、まさにこのことなのである。メジャーリーグの第一線で活躍する選手の言葉としてとても説得力がある。

「甲子園へ行く」と明確な目標だけ立ててあとは考えずがむしゃらに練習することよりも、「今日より明日、来週、来月、今の自分より進歩するには」と考えて効果的な練習をする。その結果、甲子園に行けたり果てはプロ野球選手になれたりもするものだ。「脳筋」(脳みそまで筋肉でできており、考えずに努力するだけの人のこと)ではいけないのである。

 

よくある自己啓発セミナーなんかでは「明確な目標をたてましょう」とばかり言う。しかしそれでは脳筋たちを増やしてしまうだけだ

そうではなく、目標はあいまいでいいからとにかく行動しながら考えられる人だけが目標に到達できる。目標よりも、「今の自分より明日、来週、来月、今の自分より進歩するには」を考えて計画し、行動することが最も重要なことである。

 

 

 

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