生活の安定をちょっとだけ手放せば、人生は加速するかもしれない

生活の安定をちょっとだけ手放せば、人生は加速するかもしれない
Pocket

僕はこの春、いくつかことを始めると同時にいくつかの生活の一部を捨てた。

音楽(作曲)とこのブログ、そして本職のデザイナー職に真剣に取り組むために、週2回あった元いた会社への手伝いと恋人との生活である。

 

まず、僕はWEBデザイナーである。個人事業主として独立してもうすぐ3年になろうとしている。

独立する前は、3年間WEBデザイン会社に勤務していた。人数が少なく、社長と僕だけという時期もあり信頼されていた。しかし、「これ以上ここにいても自分の成長は望めない」と判断し、独立する旨を伝えた、今思えばこれも「正社員」という安定を捨てたまず1歩目である。

なにぶん人数が少ないうえ社長の右腕的存在でもあった為、僕の独断で会社を抜けると会社としては非常に危険なのである。しかし、辞めることを承諾してくれた。と同時に、週3回、時給勤務で会社に手伝いに行くことを承諾した。

さすがに週3回は頻度が多く独立してからのリズムを作るのが難しかったため、数カ月経ってから週2回に減らしてもらった。そこから、この4月まで2年以上、週2回はその会社に行くことが僕の生活リズムになっていた。

独立するにあたり、確定している取引先がほとんどいない状況だった僕にとって時給勤務で働かせてくれることは大いに安定材料になった。おかげで月に全く収入が無いなんて月はこれまで一度もなく、また働きに行った際に時給勤務とは別件でお仕事を会社から貰えたりしてその話も出来たので、効率も良かったのだ。

 

週2回の勤務は僕にとってちょうどいいサイクルだった。自宅勤務なので基本的にあまり外に出ないのもあり、ちょうど外に出るいい頻度だったのだ。出勤の日は早く起きる必要があったため朝が弱く寝坊しがちなのを矯正する役割もあった。時給もその辺でバイトするより高く、”バイト先”としては文句ない場所であった。

しかし僕はバイトするために個人事業主になったのではない。時給勤務をつづけて3年を振り返ると、僕はその安定に甘えていたために自分だけで取れた仕事も少なく、個人事業として作ったものや積み重ねられたこともない漫然としたものであった。こんなことでは、何も考えずに正社員で居たのと何も変わらない。

この春、ついに僕は週2回の勤務をやめた。他に安定材料ができたからというわけではなく、この安定を捨てないと先に進めないと思ったからである。そう決めたのが3月はじめ、やめたのが4月の最初である。

 

もう一つ辞めたことがある。それは恋人との同棲生活だ。

同棲は2年間続いていた。しかし、同棲を始めたころのときめきはすでになく、ただの生活パートナーとなっていた。結婚はしていなく、お互い働いているので僕は食費や消耗品など生活費の一部を恋人に負担してもらい、料理や家事などをいくつか任せていた。

それもある意味安定材料の一つで、心情を抜いた話をすると生活費は少し浮くし、料理も自分で作らずとも出てくる。僕は一人暮らしの経験はあったが家事は嫌いで、それを負担してもらっていたのは非常にありがたかったのだ。

僕にもその恋人にもやりたいことがあった。しかし、一緒に生活しているとどうしても生活や行動のリズムを合わせることになり、お互い勝手な行動はしにくくなるものである。その同調が、互いの成長を妨げていることを徐々に認識した。同棲2年が経ち、お互い積み重ねられたものが無いこれも漫然とした生活になっていることを確認し合い、話し合って同棲を解消した。

もちろんこれをやめるのはつらかった。何より情があるので、効率とか安定とかそういったもの以上に離れたくないという心があった。しかし、お互いが次へ進むために苦しかったが決断したのである。

 

以上がこの1カ月以内の話である。「出勤」と「同棲」僕はこの2点の生活の一部と安定を捨てた。

 

すると驚くほどに今、人生が加速している。仕事の依頼が急に増えたり新しい人と関わることができたり、休止していた音楽活動が再開することになったりと自分とともにそのまわりの環境も動き始めた。

家事も料理もいざ自分でやるとなったら大変だが、やらなければ誰もやってくれないのだ。今までずっとやってしまっていた、だらだらスマホを触る時間を捨て、その時間を家事にあてた。すると特に時間が足りないとなったことはなく、家事も仕事も両立できている状態だ。

朝起きる時間寝る時間、1日のルーティーンなどそれらもすべて改善した。これまで週2回勤務があったのでルーティーンを組もうとしてもどうしても崩れてしまうのだ。それがなくなったので、いまは何時に起きて、まずは何をやって…という流れも確立しつつある。

「せっかく大きなことを捨てたのだ。だったら何か大きなことを始めないと。」いまの心情はこれである。

 

いま、何かを始めたいが始める時間がない、踏み出せない、ということがあれば、まずは「捨ててみる」ことから始めてはどうかと思う。

これは、ミニマリスト的な考えになるのだが、単にモノではなく「安定」を捨てることによってその分得られる時間とモチベーションがある。

注意点としては、やみくもに捨ててしまわないことだ。僕はどれも段階的に捨てているのでうまく対応できているが、「捨てる」のと「失う」のはまた別で、一気になくなってしまうと迷いや喪失感の方が大きくなり動けなくなってしまう場合さえある。

自分がもし何者かになりたくて、そのための行動が今できていないのでれば生活のどこかを見直すべきだ。たとえば毎日残業で時間が無いのを言い訳にしている人は、いきなり会社を辞めるのではなく「水曜日だけはノー残業にする」と決めてその時間を有効活用するなど工夫すればいい。

 

僕は初めての恋人に振られたときに送られた歌がある。BUMP OF CHIKENの「同じドアをくぐれたら」という曲である。

もう 気付いたろう 目の前のドアの鍵を
受け取れるのは 手の中がカラの時だけ

長い間 ここは居心地が良くて
いつの間にか いろいろと拾い過ぎた

どれもが 温かくて 失い難い いくつかの光

手に入れる為に捨てるんだ 揺らした天秤が掲げた方を
こんなに簡単な選択に いつまでも迷う事は無い

その涙と引き換えにして 僕らは 行ける

出典: 同じドアをくぐれたら/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央

今思えば、この曲が僕の行動原理になっているのかもしれない。「次」に進むためには「今」を捨てる必要があり、どれもこれも手の中にあるままでは次のドアを開けられないのだ。

「幸せってなんなんだろうね」と笑って話しながら家を離れた恋人との生活をぼんやりと浮かべながら、もう後には戻れない僕は何かを手にするために次の季節を迎えようと思う。

ミニマリズム モノを減らすことで見えてくる大切なことミニマリズム モノを減らすことで見えてくる大切なこと
Pocket



ESSAYカテゴリの最新記事