エッセー

最近のブログやYoutubeが金儲けが前提のウケ狙いばかりで面白くない 

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攻撃的なタイトルを付けたが、ここ1年ほどずっとぬぐえない感情を文章にしてみる。

正直、最近のブログやYouTubeは面白くない。といっても僕は現在もブログやYouTubeをよく見るのだが、深堀りせず検索上位に出てくるブログや動画がどれもこれも面白くないのだ。

 

原因もわかるし、時代の流れとしてもわかる。この3月にGoogleの検索エンジンがアップデートされ、個人ブログが大幅に検索順位を下げることになった。
検索してすぐに個人の曖昧な見解ではない正確な回答を求められる、利便性を追求した正解が検索順位という世界なのだ。
実際現代は自分が必要な情報を探そうと検索すると、それが知恵袋であれ大手ブログであれ、必要な情報がすぐに出てくることに「不便を感じない」という驚異の便利さを持っている。

YouTubeも最近は本当に有益な情報があふれるようになった。いわゆるYouTuberという人たちの動画も僕はよく見るのだが、無駄に明るく振る舞うかつてのステレオタイプなYouTuberのような人ばかりではなくなってきており、見やすくもなっている。
実際僕も役に立てている情報や動画もあるし、動画を作れる人を尊敬もしている。

 

ただ…全体の風潮というか流行として、すごく個人的に面白くない方向に向かっている。

皆、「金儲けが前提」なのだ。金儲けとはなにかというと、ブログで言うとアクセス数からの紹介商品購入や広告のクリック、Youtubeでいうと再生数とチャンネル登録それに商品紹介のオファーなどであろう。
ブログに広告を載せている僕も偉そうに言えたものではないが、どれもこれも「ウケ狙い」なのだ。

一つ言っておくが僕は特に嫌儲主義では無い。ブログやYouTubeで儲かっている人はすごいとは思うし儲かっているからと言って毛嫌いしたりはしない。ただ単純にそのコンテンツが面白いかというと僕にとってはそう思えない、というより余計なものがちらつくということだ。

ブログやYoutubeにはそれぞれに「フォーマット」や「教材」なんてものも存在する。
どのように文章を書けば、動画を制作すれば人の目に留まるかという最も効率のいいフォーマットが決まっている。いや決まっているというより、先駆者が作ったフォーマットに頭も使わず皆あやかっているのだ。
だからこそ、最近の流行ブログにはどれも吹き出しなんかがついていたりするし見たくもないのに無駄に顔を出していたりするし、YouTuberは「はいどーも」で動画が始まってプツプツ会話の余白を切りながらとにかく顔を出せばいいと思っている。

そういう「フォーマット」が見え隠れするのがすごく不愉快で、見慣れていないYoutuberの動画を見始めようとすると最初ものすごく抵抗があるのもその原因だ。
なにより、「僕はこういう動画を作りたい」「僕はこういう文章を書きたい」という意思やパーソナリティが見えてこないのである。顔を出しているだけでパーソナリティが表現されていると思ったら大間違いだ。

 

昔はよかった、なんて書くと老害臭くなってしまうし(老害って年齢でもないんだけど)そんなことを言うつもりもないが、、YouTubeもニコニコ動画もブログもかつてはもっと制作側が作りたいものが重視されていたように思う。
ニコニコ動画はそれがもっと顕著で、きっとみんな1から手探りで「こんな動画を作りたい」と切磋琢磨していたように思う。しかしそれは単なる娯楽で見る側に利益をもたらすことは無く、その文化はニコニコ動画自体とともにかなり衰退してしまった。

携帯小説の文化も衰退して長いが、あれも個人が文学に触れる大きなきっかけであり、「書きたいものが、人の読みたいものになっていた」いい例である。しかし、ガラケーからスマホに移る際にSNSという便利なツールが登場して一気に衰退した。

 

現在のネット上では欲しい情報は本当にすぐに手に入る。
友人・知人・有名人の動向はSNSですぐにチェックでき、文章・映画・音楽はサブスクリプション化され、聞きたいもの、見たいものに今すぐにでも触れられるようになった。この技術進化は本当に素晴らしいもので、全く否定するつもりはない。現に僕もその技術にどっぷりあやかっている。

 

動画も文章も音楽も、どれも生み出す人はそろって「クリエーター」であると僕は思っている。そのクリエーターが、環境に応じて作るものを変えられるのは素晴らしいことだが、同時にアイデンティティを失ってしまうのは本当によくない傾向であると思っている。
きっとそういう利便性ばかりが追及され、そうでないものが淘汰されていく社会には芸術的な切磋琢磨が生まれず、衰退するようにも思う。

昨今の日本のゲーム文化がひとつ分かり易い例である。現在は据え置きのゲームユーザーよりもスマートフォンゲームのユーザーが増え、それに企業が順応し、似たようなスマホゲームばかりを量産する。
スマホゲーム→課金という流れが現在の日本のゲーム業界の収益化の流れの主流であり、この流れも「作りたいものよりも金儲けを優先している状態」である。

だから、かつてゲームは日本が世界一なんて昔は言っていたがそのクオリティはとっくに海外に抜かれてしまっている。ウケ狙いのクソみたいなスマホゲームばかりで金儲けしている企業に「クリエイター的」なゲームの進化は生まれないのだ。そしてそれを享受する側の日本人のリテラシーも良くない方向に向かっている。結果「ゲームは日本が世界一」というのは過去の幻想になり、世界に置いていかれることになる。
昨今の大ヒットゲームも任天堂作品を除けば9割海外ゲームといっても過言では無いんじゃないか。

実際そういう「新しいもの・素晴らしいもの」に対しての正当な評価は海外の方がアンテナが高く、熱狂している。
だからこそ最近はもうゲームも映画も海外でまずヒットし、それが日本に来るという流れになっている。市場の民度が高いからこそ、いい作品も生まれていくのだろう。「アメリカで評価されたものは日本でも流行る」みたいな風潮は昔からあるが、本当にくだらない。

アニメだってそうだ。キャラクターグッズで儲かるからといたずらにキャラ数の多いアイドル系のクオリティの高くないアニメばかりを量産し、力の入ったアニメの割合が減っているように感じる。
先刻公開していた「スパイダーマン:スパイダーバース」は日本の作品含めこれまでのどのアニメ作品よりも3歩は先に行っている驚愕のクオリティだった。アニメ業界だってすでに海外に超されているといっても過言ではない。

 

Twitterを見ていて、ものすごくハッとしたつぶやきがあった。それは大沢伸一さんのツイートである。

まさにこの通りである。これは現在の文化の流れからすると忘れがちで、僕自身も忘れていて衝撃を受けた一文であった。

「承認されたくない欲求すら持て」
これは強烈な一文である。偏屈な風に思えるかもしれないが僕はこの言葉が大好きで大きく頷ける。
作る側は単に鑑賞するだけの側よりも圧倒的な努力をしている。これは曲げようのない事実だ。だからこそ作る側が観るだけの側に迎合してわざわざステージを下げるのではなく、むしろ「一緒にするな」というスタンスでいて欲しい。

思い返せば確かにニコニコ動画でも、「どういうことだよ」って突っ込みたくなるような、しかし実は深い思想があって作られような動画がいくつもあった。これは承認欲求や金儲けよりも「面白いものを作りたい」が前提である。
しかもそういう動画が評価されることももちろんあったし、ボーカロイドの流れもあってかあの時代のクリエイターはプロでない人たちもリテラシーが高かったように思う。
事実最近では、米津玄師をはじめボーカロイド畑出身の作曲者がトップチャートでも広く評価されているし彼らの作品は一般大衆に媚びているようには私には感じない。

 

フォーマット化された動画やブログというのは金を得るためだけに効率を求めたものであり、それはスマホゲームと同じであって、はたまたそれはインスタント麺やファストフードなのである。すぐに、手軽に、安く楽しめる。享受する側の努力が必要ないのだ。
利便性というものはAIの最も得意な分野であり、そういった作品たちはいずれ人の手が必要ないものになってくるだろう。

もちろん全員がそうではないことはわかっているし、素晴らしいクリエイターももちろん大量にいる。そういう人たちが正当に評価されるように、そして僕もクリエイターである以上この風潮に抗って、このブログも含めて「己のための表現」をしていきたい。

 

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